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(2020/8/21 3018 掲載)

コメ先物取引の誕生と世界の商品取引所

 東京穀物商品取引所が戦後初めてコメ先物の試験上場申請を行ったのは、平成17年(2005)12月9日だった。昭和14年(1939)4月、米穀配給統制発布により、全国19カ所の米穀取引所と21カ所の正米市場が閉鎖され、以来コメはその安定供給を目的として昭和17年(1942)2月に施行された「食糧管理法」の下、生産・流通・消費のすべてにおいて政府が介入し、管理を続けてきた。その後生産者米価の設定や減反政策により、営農を保護するために投じた税金が膨れ上がり、制度自体に限界が生じたことで、同法は平成7年(1995)に廃止された。その後16年(2004)の改正食糧法施行でコメの取引が自由化されたことで、コメ先物の復活が現実味を帯びてきた。結局1度目の申請は却下され、2度目の申請で平成23年(2011)8月に試験上場が開始された。現在東穀取が解散し、コメ先物は大阪堂島商品取引所に引き継がれている。今回は、江戸時代に誕生したコメ先物取引の歴史を辿ってみたい。

封建社会の下で生まれた自由経済
 日本における商品取引l所の起源は徳川の中期というから、およそ1650年頃である。“淀屋の米市”と称される米穀の先物売買が、その嚆矢というわけだ。大阪における「蔵元制度」である。

 元号でみると、寛永時代に米穀の先物取引が自然発生的に行われて、今日の商品取引所の原型ができあがったのではないかとみられる。
 
 なお蔵元制度というのは、当時、諸藩が大阪に倉庫を設けて、領地内で徴収した年貢米を貯蔵したため、その倉庫を「蔵元」(あるいは蔵屋敷)といい、貯蔵されているコメを「蔵米」と称したことから名づけられたものだろうと推察される。蔵米に対して「蔵米切手」を発行し、これを商人が売買したものである。

 倉庫の管理者である「蔵元」は、最初武士が任命されたが、いつの間にか商人に委託する藩が多くなり、管理のみならず販売にも携わるようになって、商人蔵元とか町人蔵元と呼ばれ、そのうちの有力者が「淀屋」という一種の財閥的な存在になっていったのである。
 当時の淀屋橋南詰(現在の大阪市東区大川町?)が、淀屋の米市場になったわけだが、諸候はそうした商人に売却した蔵米で換金した資金を、参勤交代などの経費にあてたという。

 一方、商人は「蔵米切手」によって蔵米を自由に取り扱うことができたことから、そのうちに売買市場というだけではなく、金融機関的な役割をも併せ持つようになった。

 それでは何故、大阪で米穀を主体として商業が発達したのか。一般論として、豊臣秀吉が大阪城を築くと同時に各地の商人を集めて城下町をかたちづくって以来、徳川時代を通じて大阪が江戸の中央政府に対し、財政面で主導権を把握したという解釈がみなされている。

 「江戸か武士」「京都が公家」としての都市だった頃、大阪は「商人の町」として栄えたのである。

 徳川中期に商品経済の流通圏が拡大して全国的に商業が発達すると、全国の300諸侯はそれぞれ大阪に“蔵屋敷”をかまえ、領内における米その他の農産物を貯蔵したのであった。

 そして、蔵屋敷の管理を商人に託すようになり、貨幣経済がめざましく発達していく過程で、“淀屋の米市”にみる堂島米会所の繁栄がみられたわけである。

 にわかに信じ難いのは、当時「米遣いの経済」といわれたほど、経済社会の中枢であるコメを、商人が自由に売買できたことだろう。

 しかも完全な封建社会のもとにあって、信用経済の最たるものである先物取引の制度が、蔵米切手の売買という形で存在したことは特筆事項といっていい。

 一方、世界に目を向けると、ヨーロッパでは15〜16世紀頃から封建社会が次第に崩れていき資本主義的自由経済の発達につれて、1500年代に商品取引所が自然発生し、1600年代に入ってから、証券取引所の誕生に繋がっていく。

 商品取引所の最初の形態は、1531年におけるベルギーのアントワープにみられるものだが、当時アントワープは、ヨーロッパの商業の中心地であり、商人たちは主として手形と証券で取引しており、Beursと称された商人会所が、今日の「取引l所」と同じ機能と役割を果たしていたという。自由経済の最初のかたちである。

 そして、法的に整備された、一種の“国家機関”の取引所として設立された最古のものは、1549年のフランスとリヨンとトゥールースにおける開所と思われる。

 その後、1558年にドイツ北部のハンブルグと西部のケルンに、それぞれ取引l所が創設され、1568年には、イギリスに「ザ・ブ−ルス」と呼ばれる取引所が、さらに1613年には、オランダのアムステルダム‥‥と、続々生まれ、発展していった。

 資本主義が16〜17世紀のヨーロッパで生成し、「産業革命」を経て191世紀に確立された軌跡をたどっていけば資本主義経済が必然に迫られて作り上げた商品取引所の生成〜発展の歴史と符号しているのは、当然の結果なのであろう。

 アントワープにみる通り、最初は主として為替の取引(外貨の売買交換)が行われ、次いで、胡椒の先物取引が、やがて未収穫の穀物・羊毛・果実などの先物取引lが多くなっていったといわれる。
以下略

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 編集発行人:村尾 和俊
(2020/8/18 3017 掲載)