新 刊 紹 介       【戻る】


『相場の神々』
パンローリング
定価1,500(+税)
「相場の神々」について

 長梅雨が明けたと思ったら、途端に酷暑到来で老躯にはこたえますが」皆様方に声まご健勝のことと拝察いたします。私は83歳を迎え腰痛に悩まされながらも人物史の発掘に明け暮れております。土佐のいごっそうと全国に蟠踞する相場師たちの足跡探しです。本書では相場師を取り上げました。

 獅子文六「大番」の主人公“牛ちやん”(モデルは佐藤和三郎合同証券社長)が「もはや相場師の時代ではない」といって兜町を去って早くも60年になります。過去の遺物ともいえる相場師に拘り続けるのはなぜだろうか。

 相場師たちは社会から冷たい視線を浴びながらも一攫千金を狙って輸エイ(勝負)を競った。彼らは儲けたい一心で市場に没入したが、その儲けを社会還元することを忘れなかった。私腹を肥やすことに専念した連中は終わりがよくなかった。儲けた金を生かして使うか、どうかによって評価は定まる。
 昨今の経済社会ではリスクを避けることが至上命題のように言われるが、.リスクを冒して利益を追い求めた男たちに限りない敬愛の念を禁じ得ない。

 本書に登場する相場師は8人、明治を代表するのは福沢桃介。福沢諭吉の婿養子で病気療養のつれづれに始めた相場の魅力にはまってしまう。ここぞという時を狙って出陣、巨利を占めて悠々と引き揚げる。勝負師とは勝った時に止められる人のことである。勝った時、もっと勝ちたいという我欲を制御できるかどうかにかかっている。桃介は利子配当を不労所得として忌み嫌い、相場による儲けを最も価値ある所得として大事にする。

 大正時代を代表するのは田附将軍・田附政次郎。「知ったらしまい」「あまりものに値なし」など数々の名言を残した。田附は北浜の相場師岩本栄之助の100万円寄付(中之島公会堂)に刺激されて京大に北野病院を寄贈、野村徳七に伝播し、彼は大阪市大に経済研究所を寄付する。田附は相場師と呼ばれることに何の抵抗感もなかった。

 昭和を代表する相場師はヤマタネ・山崎種二。「鞘種」とも呼ばれ「市場のごみ」と投機師たちから”ゴミ”のように軽視される鞘を追い求め財を成した。まさに鞘も積もれば山となる。ヤマタネはケチ種とも呼ばれたが、相場の儲けをどれだけ社会還元したか計り知れない。熱海の海岸にある2代目「お宮の松」もヤマタネが寄贈したものだ。

 天下の金貸・乾新兵衛、「ツケロ買い」の文次郎、“浪華のドンファン”小田未造は相場に大勝、名妓照葉と外遊へ。理性と品格の栗田嘉記。「発明王」寺町博は相場をこよなく愛し鎧橋周辺に惜しげもなく散財した。市場関係者にはまさに神様のような存在であった。

 「先物寸言」には先物市場をよぎる多彩な顔ぶれが登場する。郷誠之助、鈴木一、上田弥兵衛、永野護、益田克徳らの足跡を顕彰した小文である。東京商品取引所がJPXと統合するのを機に商品先物市場が再生への道を歩むことを願ってやまない。「先人に学ぶ」は日経新聞に連載され好評をいただいた戦陣訓を収録した。
令和元年夏  鍋島高明